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東海道53次 逢坂の関近くで明治5年から営業している老舗のうなぎやさん

2011年12月01日 14:39

「これやこの ゆくもかえるもわかれては 知るも知らぬも 逢坂の関」
これは、百人一首にある蝉丸法師の歌ですが、ここで歌われている逢坂の関は、山城(京都)と近江(滋賀)の国境にありました。いまは、写真のような石碑があるだけですが、この横を国道一号線と京電車阪京津線が走っており、往時もいまも交通の要衝であることには変わりありません。
ousakanoseki.jpg

逢坂の関のほど近くに、明治5年に開業したのが、今回訪れた鰻料理屋さんの「かねよ」です。明治5年と言えば、江戸時代が終わりを告げて間が無く、ちょんまげからザンギリ頭へと文明開化がすすみ始めた時代です。この時期、京都の東端(地籍は滋賀県)では鰻料理店の「かねよ」が開業し、西端では筍料理で有名な「うお嘉」が開業しています。新橋~横浜間で日本初の鉄道が営業開始、横浜では日本初のガス燈が点燈したのも明治5年で、日本が近代国家に仲間入りしようと、必死で頑張っていた時代ですね。
「かねよ」で鰻料理を食するときは、こういう時代背景・歴史を思い浮かべながら頂くと、より深くお料理が味わえるのではないかと思います。
「かねよ」ホームページ http://www.kaneyo.in/index.html
kaneyo_genkan.jpg

入口を入るとすぐ係員さんが出てこられ、庭を通って奥のお部屋に案内してくれます。畳の部屋とテーブル席があり、どちらかを選べますが、迷わずテーブル席にし、庭園が見える端の方に座りました。
kaneyo_seki.jpg

さて、お料理ですが、接待用と思われる高級な定食から、普通のお昼ご飯まで多彩なメニューが用意されています。普通に「お昼ご飯を食べる」という想定で、「上鰻まむし」(2,050円)を頼みました。肝吸いと漬け物がついています。鰻蒲焼はちょっと小さめで味もあっさり目でした。(昨今の相場高騰が、鰻の大きさに繁栄しているのかもしれません)タレの味は、京都の町中の鰻やさんの味ではなく、先日いただいた瀬田唐橋の料理屋さんの味とも違いました。どっちかというと東京のタレに似ているのですが、辛くはありません。(京都人の私には、東京のタレは辛く感じるのです)昔の蒲焼きは、こういう味付けだったのかなあと思いながら、賞味いたしました。
kaneyo_unagi.jpg

鰻を頂いたあと、「かねよ」自慢の庭園を散策しました。
庭園には、大津絵でお馴染みの「鬼の念仏像」の信楽焼や、「吃の又平」が暮らしたとされる又平小屋などがあります。
oni.jpg

「かねよ」から出て、少し下った向かい側には蝉丸神社(分社)があり、「車石」なども展示されています。
このように、「かねよ」の近くには、逢坂の関の碑も含めて、記念写真を撮るところはいくつもあります。鰻のお昼ご飯を頂くのとともに、思い出も作っていただけるのが、この地の良いところと言えるのではないかと思います。
最近では、健康ブームの盛り上がりもあり、京都から歩いて逢坂山を越え、滋賀県に入り、琵琶湖に達するというコースが人気で、そういう人たちが団体で「かねよ」を利用されることも多いようです。
機会があれば、ぜひ一度おたずねになられることをおすすめいたします。
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